福島市におけるレクリエーション運動の始まり

福島市においてレクリエーション運動が活発になったのは、昭和50年ごろからです。

昭和40年代後半、故・佐藤利三郎先生(福島県青少年会館初代館長)が呼びかけ人となり、
「福島県レクリエーション指導者クラブ県北ブロック協議会」が設立されました。

協議会は、毎月1回の定例会を開催し、レクリエーションの研修に努めてきました。

当時のレクリエーション活動と言えば「ゲーム」「ソング」「ダンス」の三種の神器が中心で、
現在のようなスポーツ系の活動はまだありませんでした。

昭和50年代になって、
「福島県レクリエーション指導者クラブ」が「福島県レクリエーション協会」に統合されたことを受け、
「県北ブロック協議会」は「福島レクリエーションクラブ」として再出発しました。

その頃から、インディアカをはじめとするニュースポーツの普及が盛んになり、
また、福島レクリエーションクラブ自体で、人財育成などにも取り組み、
大きな成果を上げ始めました。

福島レクリエーションクラブは、
昭和57年には、第36回全国レクリエーション大会(大分県)において、
優良団体として表彰を受けています。

その後、全国一斉ウォークラリー大会などに積極的に取り組みながら、人財を増やし、
各種種目の講習会等も開催し、レクリエーション運動が全市的に拡大する方向が見えてきました。

当時の関係者の努力により、平成6年(1994年)6月8日に12団体で設立したのが、
福島市レクリエーション協会です。
初代の会長は、福島県レクリエーション協会の会長でもあった故・笠原憲昭氏でした。

その年の11月には、十六沼公園で第1回福島市グラウンド・ゴルフ大会が開催され、
その後の福島市民スポーツ・レクリエーション祭へつながっていきました。

福島市レクリエーション協会の活躍

平成7年(1995年)には、
福島市を中心に第70回国民体育大会及び全国身体障害者スポーツ大会が開催されました。
福島市レクリエーション協会は、
加盟団体となった福祉レクリエーション・ネットワークの支援をして
全国身体障害者スポーツ大会ふれあい広場の活動にも協力しました。

ウォークラリーは、協会の母体となった福島レクリエーションクラブを中心として
継続・発展してきました。

平成8年には東北郵政ウォークラリーに協力し、
平成10年には、日本レクリエーション協会をとおして福祉医療機構の支援を受け、
「バリアフリー発見ウォークラリー大会」を開催。
「声のコマ図」「気づきのウォークラリー」など、新しい試みを次々と行い、
平成12年には、福島県知事より「やさしい街づくり大賞優秀賞」をいただくことができました。

平成11年(1999年)度から、第2代会長として故・門間孝一氏が就任。
平成13年(2001年)度からは、
日本レクリエーション協会認定の「レクリエーション・インストラクター」を養成する
「福島市レクリエーション・カレッジ」を開催しています。
カレッジの開催によって福島市内のレクリエーション有資格者は飛躍的に増加しました。

平成16年(2004年)度には、
文部科学省委託事業「子どもの居場所づくり事業」を日本レクリエーション協会、
福島県レクリエーション協会をとおして受託し、
事業終了後も、「福島市あそびの城」を毎年継続してきましたたが、
新型コロナウイルスの蔓延を受け、2020年度から実施できていません。

また、平成11年(1999年)度から継続している福島市街なか広場を使った
「福島市生涯スポーツ・レクリエーションフェア」を継続して実施しています。

第68回全国レクリエーション大会2014福島に向けて

平成20年(2008年)度には第3代会長として本多 勉氏が就任しましたが、
本多氏が福島県レクリエーションの会長職を受けたことにより、
わずか1期での会長交代となりました。
第4代会長には故・蒲倉一男氏が就任しました。

平成23年(2011年)3月11日には東日本大震災が起き、
原子力発電所の事故による災害で、福島市のレクリエーション運動も
一時活動の自粛を余儀なくされるなど、厳しい時期が続きました。
そのつらさを吹き飛ばしてくれたのが、第68回全国レクリエーション大会2014福島の招致でした。

時は、まさに本県で初めての開催となる第68回全国レクリエーション大会に向けた
準備が始動した時でした。
平成25年4月4日 蒲倉会長は突然の病魔に襲われ帰らぬ人となってしまいました。

蒲倉氏が会長だった時期は短い間でしたが、後輩に大きな宝物を残してくれました。
それは、第68回全国レクリエーション大会2014福島大会名称についてです。

全国大会の準備委員会で、大会の名称を検討している時、
福島市レクリエーション協会の会長であった故・蒲倉一男氏から
「『フクシマ』や『Fukushima』と表記されるふるさとではなく、
自分たちが生まれ育った故郷を『福島』と表記したい。という意見がありました。

当時、原子力災害の被災地である福島県は、
マスコミによって「フクシマ」や「Fukushima」と標記されることが多くあったのです。

その蒲倉氏の意見に、福島市レクリエーション協会の若手から声が上がりました。

「気負いすぎず、背伸びをせず、卑下せず、ありのままの福島、今、この時の福島を見てもらおう。」

そして、大会名称が決定しました。

第68回全国レクリエーション大会2014福島という大会名称には、
「2014年、福島の今を見てもらう全国大会」というみんなの願いが込められたのでした。

全国大会・法人化・そして未来

平成26年9月19日から21日にかけて、福島市をメイン会場に
「第68回全国レクリエーション大会2014福島」が開催されました。

その準備のさなか、故・蒲倉一男会長の遺志を継いで会長に就任した
第5代会長渡邉武男氏のもとで、福島市レクリエーション協会は法人化を果たしました。
そして、並立していた任意団体としての福島市レクリエーション協会は、平成27年の初めに解散し、
名実ともに福島市のレクリエーション運動を牽引する
「特定非営利活動法人福島市レクリエーション協会」が誕生したのです。

第5代会長だった渡邉武男会長の役職は、「理事長」に代わりました。

法人化した福島市レクリエーション協会は、
特定非営利活動法人福島県レクリエーション協会内に事務所を設置しています。

平成28年(2016年)度、福島県レクリエーション協会を通じて、
レクリエーション・インストラクター養成事業を、
新カリキュラムのモデル事業として開講してほしいという依頼があり、
新カリキュラムによるインストラクター養成事業を、日本で初めて開催しました。

平成30年(2018年)度の総会で、渡邉理事長が引退され、
新たに長沢伸一理事長を第6代の理事長とした新体制が発足しました。

東日本大震災からの復興支援事業も
避難所から仮設住宅を経て復興団地への支援に変わりましたが、
10年目になっても継続されています。

そして2021年第75回全国レクリエーション大会2021福島が
福島市を含む福島観光圏内で開催されることとなりましたが、
新型コロナウイルスの蔓延を受け、中止となりました。

令和4年(2022年)度の総会において、長沢理事長が退任され、
新たに、石渡弘美氏が新理事長に就任しました。

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